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私ねえ、2001年に書いた『闇光る』が処女作です。それ以前の習作群は、破棄、し
ております。習作群と一応は書きましたけれど、それらは遊劇体で公演を打つための
テキストというとらえ方しかしていませんでした。観せ方、スペクタクル、つまり視
覚的要素を誘発するテキストを、演出者として提案していたということだったと思い
ます。
『闇光る』は、初めて、戯曲であることを意識して書いたもので、そこには大きな
理由があり、結果的にも想像もしていなかった驚くべき転換点となったのでした。
〈戯曲であること〉とは一体どういうことなのかについては、ここに記すつもりは
ありませんが、そこにあった〈大きな理由〉というのは、当時の遊劇体の集団として
の現状であり、俳優と演出者にとっては、あらためて〈演技論〉に向かい合いたいと
いう強烈な、いや、切羽詰まったエネルギーであったと思います。
『闇光る』は遊劇体の俳優の演技と演出者の視点を一気変質させてしまったのでし
た。さらに翌年の、泉鏡花さんの『紅玉』で、それがより深化されるわけです。
処女作が『闇光る』であると言い張らせていただくとして、私が今までに書いた戯曲
はたったの9作品です(9曲という数え方が正しいのですが、馴染みが無い)。そのす
べてが私にとって愛おしい作品です。
『闇光る』、『残酷の一夜』、『エディアカラの楽園』、『花も咲かないで』、『往
生安楽国』、『ありとほし』、『ふたりの蜜月』、『ほたる』、『空のトリカゴ』、
以上です。
『あの眩い光に砕けろ』はエウリピデス作品の翻案です。『演劇×世界』はコラー
ジュです。自作としてカウントできません。演出者による仕事です。
忸怩たる思いとして残る作品もあります。『花も咲かないで』は、2倍のスケールの
大作に改稿して新作として再演したい。『ありとほし』は、より抽象化してふたり芝
居の短編として、これも新作として再登場させたい。
そしてまだ書き始めてもいない未来の作品が『われわれは遠くから来た、そしてまた
遠くへ行くのだ〜The Gunman And Other Stories〜』と、『てんごくじごく』(すで
に箱書きを済ませている)、『微熱の盆(仮題)』が、アタマのなかで待機してい
る。
私はまだ、断じて〈劇作家〉ではない。あえて言わせていただければ、演出家だ。自
身が劇作家です、と言える日が果たしてやってくるのだろうか。別に、劇作家です、
と言ってみたいわけではないのですがね。
明日、第64回岸田國士戯曲賞の選考会であるそうだ。ええ夢をみさせていただきまし
た。まさに夢の宝くじ、決して当たりません。私は今まで、OMS戯曲賞、AAF戯曲賞、
北海道戯曲賞で、最終候補作品に6回ノミネートされて、現在6連敗中である。たぶ
ん、連敗記録を伸ばすのであろう。
2020年02月13日
11日(ガマンかなあ。)
もう、今すぐにでも書き始めたいのです。一気に書けそうな気がして、新作。アタ
マの中では書こう、書こうとしていて、でも、いやまだ早いという自分がいるし、い
ろいろなアイデアが浮かんでしょうがないし、その発見も、時間の経過とともにどん
どん忘却してゆくし、書き始めたらそれは、しんどい苦しい時間の始まりだし、しん
どい苦しい時間はできるだけ短期間にしたいし、やっぱり4月にはいってからかな
あ、書き始めるのは。
マの中では書こう、書こうとしていて、でも、いやまだ早いという自分がいるし、い
ろいろなアイデアが浮かんでしょうがないし、その発見も、時間の経過とともにどん
どん忘却してゆくし、書き始めたらそれは、しんどい苦しい時間の始まりだし、しん
どい苦しい時間はできるだけ短期間にしたいし、やっぱり4月にはいってからかな
あ、書き始めるのは。