特に何を決めたというわけではないですが、久々に集まってみれば楽しくて、自分
が遊劇体の劇団員で良かったと思いました。来年は公演がないけど。
2021年12月31日
2021年12月28日
27日(まあ、大丈夫。)
右手小指のケガですが、あと3週間で完治するようです。今週いっぱいはまだ固
定、1週間経った頃に、指をお湯の中で温めてちょっとずつ動かし始めるんだって。
リハビリみたいなもんかな。それをやってだいたい2週間で元通りだそうです。お箸
持ちにくくて。それから、下半身も打撲してるのだけれど、今ではそっちの方が痛い
わ。お酒は、一昨日から呑み始めました。最初の1杯は菊正ピンを冷で飲んだけど、
めっちゃ旨かった。呑と飲の使い分けね。
定、1週間経った頃に、指をお湯の中で温めてちょっとずつ動かし始めるんだって。
リハビリみたいなもんかな。それをやってだいたい2週間で元通りだそうです。お箸
持ちにくくて。それから、下半身も打撲してるのだけれど、今ではそっちの方が痛い
わ。お酒は、一昨日から呑み始めました。最初の1杯は菊正ピンを冷で飲んだけど、
めっちゃ旨かった。呑と飲の使い分けね。
2021年12月24日
24日(21日から呑んでません。)
やってしまいましてね、3日前に。右手小指を脱臼して剥離骨折そして付け根の裂傷
で、全治2週間ですわ。小指の第二関節が手の甲の方に90度曲がっちゃった。いまだ
に指が、茹でたウインナー・ソーセージみたいに、パンパンに腫れております。もう
3日間呑んでないですよ。本日はクリスマス・イヴですが、もちろん今日もアルコー
ル関係は飲みません。痛くて呑みたい気持ちにならないのです。
飲と呑の違いついてはご想像にお任せします。
で、全治2週間ですわ。小指の第二関節が手の甲の方に90度曲がっちゃった。いまだ
に指が、茹でたウインナー・ソーセージみたいに、パンパンに腫れております。もう
3日間呑んでないですよ。本日はクリスマス・イヴですが、もちろん今日もアルコー
ル関係は飲みません。痛くて呑みたい気持ちにならないのです。
飲と呑の違いついてはご想像にお任せします。
2021年12月18日
17日(関西芸術座を観た。)
winmail.dat
「ブンヤ、走れ!〜阪神・淡路大震災 地域ジャーナリズムの闘い〜」原作・神戸新
聞社『神戸新聞の100日』、脚本・駒来愼、演出・門田裕、エル・シアターにて。最
後の最後まで、今、私が観ているこ芝居がオモシロいのかオモシロくないのかどうか
判断できず、自分自身に問いかけながら観客席にいた。率直にいえば、2時間半を費
やしての再現ドラマである。人物造形や台詞に関しても、特筆すべきものは、そこに
は無い。ニンゲンを描くのではなく、出来事をなぞってゆく、そう、やはり再現ドラ
マなのだ。それが演劇として、オモシロいものなのかどうなのか、自問しながら観る
ことになった。
なぜ自問しなければならなくなったかというと実は、今、目の前にある芝居が、オ
モシロいのである。まずは、上手い下手を超えて俳優に引き込まれる。それは情況設
定ゆえであるのだけれど、切迫した状況のなかでの演技が延々とつづくわけで、余裕
とか隙が表面化しないことが功を奏しただろう。新聞社と新聞販売所、そして震災か
ら26年後の今とが入れ替わり立ち替わり交錯するのだが、シンプルで分かりやすい劇
構造になっている。それを舞台美術の簡略化でスムーズに展開させる。そして照明が
美しい(福井邦夫さん)。
阪神・淡路大震災の教訓は忘れてはならない。レクイエムとして語り継がれなけれ
ばならないだろう。こういう演劇は必要なのだ。そしてこれも演劇の果たす役割なの
だ。芸術至上主義でなくてよい。ノンフィクション演劇とでもいえばよいのか。
秀逸だったのはラスト、震災の年の主人公と26年後の主人公が出会う場面だ。時間
を超えて私たちが背負わなければならない生きていることの意味が、一瞬にして提示
されたように思えた。脚本家の企みだろう。その瞬間、この舞台は素晴らしい輝きを
放った。再現ドラマではなく、一気に〈エンゲキ〉へと変貌した。
余韻を楽しむために、久しぶりにひとりで居酒屋に入りました。
「ブンヤ、走れ!〜阪神・淡路大震災 地域ジャーナリズムの闘い〜」原作・神戸新
聞社『神戸新聞の100日』、脚本・駒来愼、演出・門田裕、エル・シアターにて。最
後の最後まで、今、私が観ているこ芝居がオモシロいのかオモシロくないのかどうか
判断できず、自分自身に問いかけながら観客席にいた。率直にいえば、2時間半を費
やしての再現ドラマである。人物造形や台詞に関しても、特筆すべきものは、そこに
は無い。ニンゲンを描くのではなく、出来事をなぞってゆく、そう、やはり再現ドラ
マなのだ。それが演劇として、オモシロいものなのかどうなのか、自問しながら観る
ことになった。
なぜ自問しなければならなくなったかというと実は、今、目の前にある芝居が、オ
モシロいのである。まずは、上手い下手を超えて俳優に引き込まれる。それは情況設
定ゆえであるのだけれど、切迫した状況のなかでの演技が延々とつづくわけで、余裕
とか隙が表面化しないことが功を奏しただろう。新聞社と新聞販売所、そして震災か
ら26年後の今とが入れ替わり立ち替わり交錯するのだが、シンプルで分かりやすい劇
構造になっている。それを舞台美術の簡略化でスムーズに展開させる。そして照明が
美しい(福井邦夫さん)。
阪神・淡路大震災の教訓は忘れてはならない。レクイエムとして語り継がれなけれ
ばならないだろう。こういう演劇は必要なのだ。そしてこれも演劇の果たす役割なの
だ。芸術至上主義でなくてよい。ノンフィクション演劇とでもいえばよいのか。
秀逸だったのはラスト、震災の年の主人公と26年後の主人公が出会う場面だ。時間
を超えて私たちが背負わなければならない生きていることの意味が、一瞬にして提示
されたように思えた。脚本家の企みだろう。その瞬間、この舞台は素晴らしい輝きを
放った。再現ドラマではなく、一気に〈エンゲキ〉へと変貌した。
余韻を楽しむために、久しぶりにひとりで居酒屋に入りました。
2021年12月07日
5日(劇団五期会を観た。)
winmail.dat
「The Merchant Of ZIPANG〜2021コロナ禍 Distance Style」原作・W・シェイクス
ピア、翻案+脚色・イシワキキヨシ、演出・井之上淳、ABCホールにて。『ヴェニス
の商人』を原作にして、舞台はたぶん安土桃山時代。商人による自治都市・堺を舞台
に置き換えて、大阪の劇団にしかできない上演となった。若手俳優の成長が目覚まし
いように感じた。そのなかで沙六(シャイロック)を演じた尾崎磨基さんの存在感が
半端なく突出している。ディスタンス・スタイルというのは、俳優の台詞が、ほぼ観
客席に向かって発せられたということかな。スタイリッシュであった。
「The Merchant Of ZIPANG〜2021コロナ禍 Distance Style」原作・W・シェイクス
ピア、翻案+脚色・イシワキキヨシ、演出・井之上淳、ABCホールにて。『ヴェニス
の商人』を原作にして、舞台はたぶん安土桃山時代。商人による自治都市・堺を舞台
に置き換えて、大阪の劇団にしかできない上演となった。若手俳優の成長が目覚まし
いように感じた。そのなかで沙六(シャイロック)を演じた尾崎磨基さんの存在感が
半端なく突出している。ディスタンス・スタイルというのは、俳優の台詞が、ほぼ観
客席に向かって発せられたということかな。スタイリッシュであった。