2022年11月21日

18日(映画『宮松と山下』を観た。)

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監督+脚本+編集・関友太郎+平瀬謙太朗+佐藤雅彦、2022年。主役の香川照之氏の
演技に震撼させられた。圧倒的に凄かった。そして、ツマラン感想だと笑われるかも
しれないけど、映画だなあ、と思った。映像、編集に顕著なんだけど、映画の良さに
満ち満ちた映画だ。これぞ映画だ、なんて感嘆しながら観るわけだ。監督3人体制な
のに強烈な個性をもつ。

編集による、ある種のだまし絵のような仕掛けに翻弄されるのも、楽しかった。ドラ
マとしては、好短編といった感じの純文学を読んだような気分になったが、そんなに
複雑なストーリーはない。それが85分をかけてゆったりと時間が流れてゆく。台詞が
少なく、余白の多い分、映像に塗りこめられている情報を読み解く楽しみがあった。

私的には傑作だと思うし、何度でも繰り返し見たくなる映画だ。決してテレヴィ向き
な作品じゃない。まさに映画を観る楽しみに満ちた、映画だ。いつもどうりUplink京
都にて。

Uplink京都では、見たい映画の上映予定が目白押しだ。『あのこと』『ジョン・レノ
ン』『冬の旅』『マリー・クワント』『ケヴィン・オークイン・ストーリー』、いっ
そ会員になろうか。
posted by yu-gekitai at 11:25| 京都 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | キタモトのひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年11月05日

映画『ソングス・フォー・ドレラ』

winmail.dat
 監督・エドワード・ラックマン、1990年、アメリカ映画の、2021年4Kレストア版の
2Kでにお上映。4Kレストア版とか2Kの意味は、私は知らない。画面がより美しいと
か、音がクリアーだとかいうことなんだろうと想像する。

 『ヒューマン・ボイス』に対する怒りをどうなだめたらよいのかわからないまま
に、『ソングス・フォー・ドレラ』の上映までの1時間半をやり過ごす目的で持参し
た西村賢太の長編小説、『蠕動で渉れ、汚泥の川を』

を、長居をさせないためなのか、やたら硬いベンチに腰かけてページをめくり始め
る。芥川賞作家になってからは読まなくなっていたけれど、逝去されてから再び気に
なりだして、未読の単行本を古本で集め始めた。現在、病みつき中なのである。やは
りオモシロくて読み耽るあっという間に、次の上演時間が近づいた。

 実は期待していなかった。が、先ほどのクズ映画とはまさに対極の、これ以上ない
簡潔さ、清潔さで、アンディ・ウォーホルとルー・リード、ジョン・ケイルとの愛憎
に満ちた関係性が、悲しいほど美しく表現されていて、胸が熱くなる。最後の曲で、
私は落涙した。音楽映画、というジャンルはあるのかどうかは知らないが、まさにそ
のジャンルで、これは大傑作ではなかろうか。

 『蠕動で渉れ、汚泥の川を』は、途中下車ができなくて、深夜までかけて読み終え
た。これまた、違う意味で震えました。次は『芝公園六角堂跡』を手にする予定だ
が、あと『瓦礫の死角』しか手持ちの未読〈西村賢太本〉がない。あと20冊くらいは
まだ購入できていないので、古本屋やネット書店などで購入しなければならない。な
んでか、ものすごく高価なのである。



 昨日の作文にある「この大きな祖語に、ひたすら戸惑う」の「祖語」はもちろん
「齟齬」の変換ミスであります。あともう一か所、「その録音をレコードを2種類
持っている」は「その録音をレコードで2種類持っている」であります。こんなマチ
ガイが日々、頻出しているブログであります。
posted by yu-gekitai at 10:44| 京都 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | キタモトのひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年11月04日

3日(映画『ヒューマン・ボイス』と『ソングス・フォー・ドレラ』を観た。)

winmail.dat
 『ヒューマン・ボイス』原作・ジャン・コクトー、監督+脚本・ペドロ・アルモド
バル、2020年、スペイン映画。

コクトーのオリジナル戯曲(『人間の声』と訳されている)はゾッと寒気を覚えるく
らい好きで、一度上演を試みようとしたことがあった。主演の女優さんを決めて、ご
本人の内諾を得たが、いろいろあって霧散してしまった。

プーランクの作曲によりオペラにもなっていて、私は、自慢めいて申し訳ないけれ
ど、その録音をレコードを2種類持っている。また舞台の方は、初演女優さんのもの
で、これまたレコードの記録されたものを持っている。定期的に聴きたくなる恐ろし
い内容のレコードだ。そういえば、ターンテーブルには載せなかったけれど、京都芸
術センターで3度ほどやらせていただいた「レコード漫談」にも一度持参して、紹介
させていただいたこともあったような気がする。もちろん戯曲も当然のことである。
今は見つからないけれど、書棚か本の山の中のどこかにある。

 それだけの思い入れがあるだけに、見逃してはならじと、初日に馳せ参じた。

感想を一言でいえば、裏切られたということになる。ひどいシロモノだった。

リアリズムそのものの画面を作りながら、大道具のパネルの裏側をさらして、実はス
タジオ内のセットであることを私たちは確認させられる。街中のロケという、真正の
リアルもある。スタジオに見事に構築された豪邸の室内には、ものすごい情報量のリ
アルなものがある。これら無用の情報は不要としか思えない。それでいて、なんとい
うのだろ、上からの俯瞰のカメラでもって、屋根も天井もない撮影用のものであるこ
とを、さも念入りに伝えようとするその意図が分からない。。

電話器はなるほどスマートフォンで、耳にストローのようなものを挿した状態で相手
の男性との会話が始まるわけだけれど、相手の言葉は戯曲では、主人公の台詞で想像
させる仕掛けになっている。それが、徹底的にしゃべり続けるから、相手の存在が浮
かび上がらない。一人の狂人が、ただまくしたてているだけか、としか見えないの
だ。抽象化された舞台上なら成立するかもしれない。だがそれまでに私たちは、リア
リズムの洗礼を受けてしまっているのだ。この大きな祖語に、ひたすら戸惑う。相容
れない別々の二つの世界が混在するのだ。ラストも、信用できない。なぜあんなこと
をやる必要があるのだ(スタジオ内のセットに火をつける)。久々に腹立たしいもの
を見せられたという気持ち。

ただし、登場した犬の演技は良かった。また、『キル・ビル』のDVDが写されたの
は、それが好きな映画だから、ちょっと嬉しかったけどもね。でも、この映画では無
用のものだ。

楽しくない作文をしたので疲れた。『ソングス・フォー・ドレラ』は、また改めて。
posted by yu-gekitai at 18:06| 京都 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | キタモトのひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする