2022年11月04日

3日(映画『ヒューマン・ボイス』と『ソングス・フォー・ドレラ』を観た。)

winmail.dat
 『ヒューマン・ボイス』原作・ジャン・コクトー、監督+脚本・ペドロ・アルモド
バル、2020年、スペイン映画。

コクトーのオリジナル戯曲(『人間の声』と訳されている)はゾッと寒気を覚えるく
らい好きで、一度上演を試みようとしたことがあった。主演の女優さんを決めて、ご
本人の内諾を得たが、いろいろあって霧散してしまった。

プーランクの作曲によりオペラにもなっていて、私は、自慢めいて申し訳ないけれ
ど、その録音をレコードを2種類持っている。また舞台の方は、初演女優さんのもの
で、これまたレコードの記録されたものを持っている。定期的に聴きたくなる恐ろし
い内容のレコードだ。そういえば、ターンテーブルには載せなかったけれど、京都芸
術センターで3度ほどやらせていただいた「レコード漫談」にも一度持参して、紹介
させていただいたこともあったような気がする。もちろん戯曲も当然のことである。
今は見つからないけれど、書棚か本の山の中のどこかにある。

 それだけの思い入れがあるだけに、見逃してはならじと、初日に馳せ参じた。

感想を一言でいえば、裏切られたということになる。ひどいシロモノだった。

リアリズムそのものの画面を作りながら、大道具のパネルの裏側をさらして、実はス
タジオ内のセットであることを私たちは確認させられる。街中のロケという、真正の
リアルもある。スタジオに見事に構築された豪邸の室内には、ものすごい情報量のリ
アルなものがある。これら無用の情報は不要としか思えない。それでいて、なんとい
うのだろ、上からの俯瞰のカメラでもって、屋根も天井もない撮影用のものであるこ
とを、さも念入りに伝えようとするその意図が分からない。。

電話器はなるほどスマートフォンで、耳にストローのようなものを挿した状態で相手
の男性との会話が始まるわけだけれど、相手の言葉は戯曲では、主人公の台詞で想像
させる仕掛けになっている。それが、徹底的にしゃべり続けるから、相手の存在が浮
かび上がらない。一人の狂人が、ただまくしたてているだけか、としか見えないの
だ。抽象化された舞台上なら成立するかもしれない。だがそれまでに私たちは、リア
リズムの洗礼を受けてしまっているのだ。この大きな祖語に、ひたすら戸惑う。相容
れない別々の二つの世界が混在するのだ。ラストも、信用できない。なぜあんなこと
をやる必要があるのだ(スタジオ内のセットに火をつける)。久々に腹立たしいもの
を見せられたという気持ち。

ただし、登場した犬の演技は良かった。また、『キル・ビル』のDVDが写されたの
は、それが好きな映画だから、ちょっと嬉しかったけどもね。でも、この映画では無
用のものだ。

楽しくない作文をしたので疲れた。『ソングス・フォー・ドレラ』は、また改めて。
posted by yu-gekitai at 18:06| 京都 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | キタモトのひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする