winmail.dat
幼なじみで、しかも一近所(一番の近所で、お向かいやお隣の家の事)の女性が亡く
なった。私より10歳くらい年下で、私は彼女を生まれた時から知っているといっても
過言ではない。結婚して堺市のひととなったけど、私が熊取町で演劇講座をさせてい
ただくようになって、その第1回目から参加してくれて、実務的なことに関して大き
な戦力としてお世話になった。
ここでばらしてしまうというと大げさなことかもしれないけれど、私の戯曲の登場人
物にはモデルがいる。といってもその人をそのまま登場させるというわけではなく、
こんな感じの人、としてのモデルだ。例えば次回公演でいえば、ムラオさんの役は一
種の私の分身であるし、パンダさんの役は小中学生時の同級生だし、さかもっちゃん
の役は劇団員にもおなじみの私の先輩だし、中田くんの役は地元で専業農家をやって
いる後輩だし、と書いてきて、クボちゃんの役は、まさにその女性であったのだ。
もっとばらしちゃうけど、次回公演の登場人物では、唯一生きている存在として登場
するのに。
昨日、なにかに引き合わせられたように、彼女の弟くんと意外な場所で出会った。弟
くんは私を呼び止め、私たちは向かい合った。挨拶も済まさぬうちに彼の表情が歪
み、何事かと戸惑う私を見つめる大きな目に、涙が滲んだと見えた瞬時、「〇〇が死
んだ」と小さくだが叫ぶようにいった。弟くんは姉の嫁ぎ先である堺市の病院で、看
取っての帰りだったのだ。半年前には姉弟のお母さんも亡くなっている。
私はやり切れない思いのまま前進座のお芝居を観たのだ。芝居がとっても良かったの
もあって、帰宅せずに京都の事務所でひとりで一杯やり始めてしまった。ちなみに千
秋楽は朝の部のみで、終演は14時50分くらいの時間だった。先斗町歌舞練場に傍には
すでに舞台屋さんの大型トラックが3台、停車していたっけ。
呑み始めたのがいけなかった。つらい気持ちでいっぱいになってしまった。まあ、だ
から呑まずにはいられなかったのだけれども。グラスを運ぶピッチも早まる。自分も
近いうちに死ぬんだと思い込み始める。今年67歳だ。あと10年も芝居をやれないだろ
う。遊劇体ででも、あと新作が10作品残せるかでしかないだろう。次回作の劇中で
は、亡くなった彼女の役はほぼ彼女そのものだ。泥酔状態で彼女の役を演じてくれる
クボちゃんに電話をしてしまった。なんだかえらい心配をして事務所に駆けつけてく
れた。ごめんなさい。もう手の付けられないヨッパライだったでしょう。記憶もあん
まりないですよ。醜態をさらしました。気分を悪くさせたかもしれない。あらためて
クボちゃん、ごめんなさい、それから、ありがとう。私はこのように実はとっても幸
せ者です。一作品一作品を良いものにしなければ悔いを残す。遊劇体のみんながいる
からきっと大丈夫なのはマチガイないけれど、いずれ死ぬ。その厳然たる事実を突き
つけられたのだ、と思った。
2023年01月18日
16日(前進座を観た。)
winmail.dat
「雨あがる」原作・山本周五郎、脚色・津上忠、補綴+演出・市川正、先斗町歌舞練
場にて。この劇場で芝居を観るのは2回目かな。たぶん25年か30年かくらい前に「岡
部企画」を観て以来だ。空間に関して、まったくその時と同じ感想だ。およそ7間ほ
どの間口に対してタッパ(高さ)が2間ほどしかない(私の目視によるもので正確で
はない)。横に細長いのだ。数年前には「鴨川をどり」を観せていただいているが、
それは基本、舞踊なので、それに舞妓さん芸妓さんが横一列に並ぶイメージがあるの
で、特に違和感はなかった。
そんな舞台なので緞帳があがると、まず違和感を感じる。前進座ではあまり見たこと
のない大黒幕が見える。ホリゾントがあったと思うんだけどな。そういう美術かもし
れない。バトンの照明器材も私の席位置からは見切れていた。こんなことは今まで観
せていただいた前進座の舞台では初めてだと思う。私の席は舞台に近かったから(1
等席ありがとうございました)。
でも、開演と同時に感じた違和感は、芝居が始まると吹っ飛ぶのだ。近いから俳優さ
んの声の力をまっすぐに感じる。立ちすじ、身のこなしの明瞭さ大胆さに改めて感心
させられる。岡部企画をこの劇場で観た時と同じ感想、というのは、芝居に引き込ま
れて、舞台のタテヨコ比率のオカシサなんてどうでもよくなるのだ。いやそれ以上
に、好ましいもののように思い始めるから不思議だ。タッパの低さからテント芝居の
匂いを感じ取るのだ。芝居というハレの世界であること、役者さんの演技とそのドラ
マに楽しませてもらえるのだ、という安心感を感じ取るのだ。
さらに個人的なことだけれど、遊劇体で二度の公演を打たせていただいた、今はもう
ない五条楽園歌舞練場に思いをはせた。五条楽園のそれを一回りくらい大きくした先
斗町歌舞練場は、そこいらにあるホールや劇場と全く異なる異世界で、緞帳があがる
前から、なにかしらデキアガッテいる、と強く思う。その意味ではテント芝居との近
似性がやはり強い。いや、テント芝居みたいだった、という称賛のしかたは前進座さ
んに失礼かもしれないが。
芝居そのものも存分に楽しむことができた。私は前進座の俳優さんが好きだなあ。い
つからか中嶋宏太郎さんが気になっているし、今回主役の早瀬栄之丞さんも良かっ
た。ツアーの千秋楽だったからか、カーテンコール後に、出演者全員ひとりずつ挨拶
をしてくださったのもご愛敬とはいえうれしかったな。私、単なるファンじゃん。
「雨あがる」原作・山本周五郎、脚色・津上忠、補綴+演出・市川正、先斗町歌舞練
場にて。この劇場で芝居を観るのは2回目かな。たぶん25年か30年かくらい前に「岡
部企画」を観て以来だ。空間に関して、まったくその時と同じ感想だ。およそ7間ほ
どの間口に対してタッパ(高さ)が2間ほどしかない(私の目視によるもので正確で
はない)。横に細長いのだ。数年前には「鴨川をどり」を観せていただいているが、
それは基本、舞踊なので、それに舞妓さん芸妓さんが横一列に並ぶイメージがあるの
で、特に違和感はなかった。
そんな舞台なので緞帳があがると、まず違和感を感じる。前進座ではあまり見たこと
のない大黒幕が見える。ホリゾントがあったと思うんだけどな。そういう美術かもし
れない。バトンの照明器材も私の席位置からは見切れていた。こんなことは今まで観
せていただいた前進座の舞台では初めてだと思う。私の席は舞台に近かったから(1
等席ありがとうございました)。
でも、開演と同時に感じた違和感は、芝居が始まると吹っ飛ぶのだ。近いから俳優さ
んの声の力をまっすぐに感じる。立ちすじ、身のこなしの明瞭さ大胆さに改めて感心
させられる。岡部企画をこの劇場で観た時と同じ感想、というのは、芝居に引き込ま
れて、舞台のタテヨコ比率のオカシサなんてどうでもよくなるのだ。いやそれ以上
に、好ましいもののように思い始めるから不思議だ。タッパの低さからテント芝居の
匂いを感じ取るのだ。芝居というハレの世界であること、役者さんの演技とそのドラ
マに楽しませてもらえるのだ、という安心感を感じ取るのだ。
さらに個人的なことだけれど、遊劇体で二度の公演を打たせていただいた、今はもう
ない五条楽園歌舞練場に思いをはせた。五条楽園のそれを一回りくらい大きくした先
斗町歌舞練場は、そこいらにあるホールや劇場と全く異なる異世界で、緞帳があがる
前から、なにかしらデキアガッテいる、と強く思う。その意味ではテント芝居との近
似性がやはり強い。いや、テント芝居みたいだった、という称賛のしかたは前進座さ
んに失礼かもしれないが。
芝居そのものも存分に楽しむことができた。私は前進座の俳優さんが好きだなあ。い
つからか中嶋宏太郎さんが気になっているし、今回主役の早瀬栄之丞さんも良かっ
た。ツアーの千秋楽だったからか、カーテンコール後に、出演者全員ひとりずつ挨拶
をしてくださったのもご愛敬とはいえうれしかったな。私、単なるファンじゃん。