芝居とは関係ないです。
昨日の購入で、「週刊少年マガジン」の1969年発行分、全冊揃いました。別に必死に
なって集めていたわけでもないですが、何となく古書店で見つけて安ければ、という
感じで、購入を続けていて。最初の1冊を買ってから、おおよそ45年かかったことに
なります。
ついでに、1970年の発行分は、残りあと2冊で全冊揃います。あと何年かかるかな?
2024年09月15日
14日(『灯灯ふらふら』稽古。)
苦戦しながらラストまで、とりあえず当ることができた。おっとコールはまだだっ
た。次回は、小返しをしながらの、通し稽古だ。
今日もまた、以前のとは別のテレヴィの取材を受けた。私、しゃべりすぎ。本番も撮
影して、ニュース映像にまとめるそうだ。
た。次回は、小返しをしながらの、通し稽古だ。
今日もまた、以前のとは別のテレヴィの取材を受けた。私、しゃべりすぎ。本番も撮
影して、ニュース映像にまとめるそうだ。
13日(人形劇団クラルテを観た。)
winmail.dat
『銀河鉄道の夜』、原作・宮沢賢治、脚色+演出・東口次登、近鉄アート館にて。
原作はまるで当然のように読んでいる、という以上に、何回も読む機会があったか
ら、内容については知っている。わかっているのに、いや、結末が(過程も)わかっ
ているからこそ、観客席の私には切なさがつのったように思われる。モノガタリとは
そういうものだろう。知らないから知りたいというモノガタリへの欲求もある。だが
その欲求は落胆させられることも多い。古今東西の名作とは、わかっているものをさ
まざまな視点で新たに見据え、発見し、より深く知る、そういう、モノガタリを整理
整頓する楽しみにあるように思う。私は、既に知っているモノガタリを追いかけ、観
て、大いなる感銘を受けたのである。ハナシは変わってしまうかもしれないけれど、
再演三演の意味もそこにあるだろう。舞台作品を観るということは、どんなオハナシ
かを確かめに行くことではないのだ。
人形ではなく俳優が生身で演じていたら、という考えが観劇中に繰り返し頭をもたげ
た。頼りない所作の人形が私の中で生命を持ち始めるのを不思議に思いながら。これ
はつまり、人形でしか成立させ得ない舞台なのだ。あたりまえだ、人形劇だもの。文
楽とはまた別の、人形芝居の世界、これは私にとっての新たな発見だった。われわれ
の舞台での俳優の存在が、人形に食われてしまったようで悔しくも感じたが、それそ
こは、人形劇の舞台ですから、較べるのもおかしいんですけれど。
人形を操り台詞を吐き、という意味では操演者が俳優であるとも言い換えられる。黒
子に徹しながら、クリアーなトーンの台詞の響きも心地よかった。
演出においては空間の使い方が巧みで、作品にマッチした美術(永島梨枝子)と照明
(永山康英)が美しく、ラストシーンの宇宙の展開に息を呑んだ。
『銀河鉄道の夜』、原作・宮沢賢治、脚色+演出・東口次登、近鉄アート館にて。
原作はまるで当然のように読んでいる、という以上に、何回も読む機会があったか
ら、内容については知っている。わかっているのに、いや、結末が(過程も)わかっ
ているからこそ、観客席の私には切なさがつのったように思われる。モノガタリとは
そういうものだろう。知らないから知りたいというモノガタリへの欲求もある。だが
その欲求は落胆させられることも多い。古今東西の名作とは、わかっているものをさ
まざまな視点で新たに見据え、発見し、より深く知る、そういう、モノガタリを整理
整頓する楽しみにあるように思う。私は、既に知っているモノガタリを追いかけ、観
て、大いなる感銘を受けたのである。ハナシは変わってしまうかもしれないけれど、
再演三演の意味もそこにあるだろう。舞台作品を観るということは、どんなオハナシ
かを確かめに行くことではないのだ。
人形ではなく俳優が生身で演じていたら、という考えが観劇中に繰り返し頭をもたげ
た。頼りない所作の人形が私の中で生命を持ち始めるのを不思議に思いながら。これ
はつまり、人形でしか成立させ得ない舞台なのだ。あたりまえだ、人形劇だもの。文
楽とはまた別の、人形芝居の世界、これは私にとっての新たな発見だった。われわれ
の舞台での俳優の存在が、人形に食われてしまったようで悔しくも感じたが、それそ
こは、人形劇の舞台ですから、較べるのもおかしいんですけれど。
人形を操り台詞を吐き、という意味では操演者が俳優であるとも言い換えられる。黒
子に徹しながら、クリアーなトーンの台詞の響きも心地よかった。
演出においては空間の使い方が巧みで、作品にマッチした美術(永島梨枝子)と照明
(永山康英)が美しく、ラストシーンの宇宙の展開に息を呑んだ。
12日(『メサイア・オブ・デッド』を観た。)
winmail.dat
製作・グロリア・カッツ、監督・ウィラード・ハイク、脚本・ウィラード・ハイク+
グロリア・カッツ、73年、アメリカ映画。
この映画は、ゾンビ映画の先駆的作品として紹介されている。日本では今年になって
初めて映画館上映された。タイトルはゾンビ映画のごとくだが、原題は「Messiah Of
Evil」。つまりこれは、観て初めて理解したことだけれど、クトゥルフ神話体系の作
品だった。そこのところをはっきりさせないと、この映画の怖さオモシロさはわから
ないと思う。ただの意味不明のゾンビ映画となり果ててしまうのだ。
以下はウィキペディアよりの引用でおます。
20世紀にアメリカで創作された架空の神話であり、「アメリカ神話」とも呼ばれる。
作中では逆に、人類史の神話は太古からのクトゥルフ神話の派生であるということに
なっている。
太古の地球を支配していたが、現在は地上から姿を消している強大な力を持つ恐るべ
き異形の者どもが現代に蘇ることを共通のテーマとする。
私は、クトゥルフ神話の熱心な読者ではないが、軽く見積もって20冊くらいは書棚な
どに積読をしている。だからすぐにピンときました。この映画の売り方としては、全
くクトゥルフ神話に触れていないのは失敗ではないでしょうか。日本でも、クトゥル
フには一定数の熱狂的信者が存在するはず。きっと、ゾンビで売る方が観客を呼べる
と考えたのでしょうね。
クトゥルフ神話の典型的ともいえる内容で、そこに気づけばストーリーの先が読める
ほどわかりやすい。しかし、私は楽しめたが、他人には勧めない。暗く不気味なトー
ンの映像がつらなる。しかし、独特な美意識に貫かれている。アーティスティックで
ある。が、観ていて不安をあおられ、やりきれない気持ちになる。それにはフィラ
ン・ビショップという謎の音楽家の曲が大きく作用しているようにも感じる。タイト
ルバックのクレジットではエレクトロニック・ミュージックと表記されていたと記憶
するが、いわゆる電子音楽である。一般に知られているようなシンセサイザー音楽で
はなく、古典的な電子音楽である。
監督+脚本のハイク&カッツ夫妻は、ジョージ・ルーカスに認められて、この後「イ
ンディ・ジョーンズ」や「ハワード・ザ・ダック」などの脚本や監督に抜擢されるの
だから、この「メサイア・オブ・デッド(正確にはイーヴィル)」は、低予算の自主
制作映画とはいえ、なかなかの映画であったということを証明している。
特典のナイスな絵ハガキをもらっちゃった。
博多めぐみちゃんも昨日観てきたそうで、観てよかったと、Xに感想を書いてました
よ。
製作・グロリア・カッツ、監督・ウィラード・ハイク、脚本・ウィラード・ハイク+
グロリア・カッツ、73年、アメリカ映画。
この映画は、ゾンビ映画の先駆的作品として紹介されている。日本では今年になって
初めて映画館上映された。タイトルはゾンビ映画のごとくだが、原題は「Messiah Of
Evil」。つまりこれは、観て初めて理解したことだけれど、クトゥルフ神話体系の作
品だった。そこのところをはっきりさせないと、この映画の怖さオモシロさはわから
ないと思う。ただの意味不明のゾンビ映画となり果ててしまうのだ。
以下はウィキペディアよりの引用でおます。
20世紀にアメリカで創作された架空の神話であり、「アメリカ神話」とも呼ばれる。
作中では逆に、人類史の神話は太古からのクトゥルフ神話の派生であるということに
なっている。
太古の地球を支配していたが、現在は地上から姿を消している強大な力を持つ恐るべ
き異形の者どもが現代に蘇ることを共通のテーマとする。
私は、クトゥルフ神話の熱心な読者ではないが、軽く見積もって20冊くらいは書棚な
どに積読をしている。だからすぐにピンときました。この映画の売り方としては、全
くクトゥルフ神話に触れていないのは失敗ではないでしょうか。日本でも、クトゥル
フには一定数の熱狂的信者が存在するはず。きっと、ゾンビで売る方が観客を呼べる
と考えたのでしょうね。
クトゥルフ神話の典型的ともいえる内容で、そこに気づけばストーリーの先が読める
ほどわかりやすい。しかし、私は楽しめたが、他人には勧めない。暗く不気味なトー
ンの映像がつらなる。しかし、独特な美意識に貫かれている。アーティスティックで
ある。が、観ていて不安をあおられ、やりきれない気持ちになる。それにはフィラ
ン・ビショップという謎の音楽家の曲が大きく作用しているようにも感じる。タイト
ルバックのクレジットではエレクトロニック・ミュージックと表記されていたと記憶
するが、いわゆる電子音楽である。一般に知られているようなシンセサイザー音楽で
はなく、古典的な電子音楽である。
監督+脚本のハイク&カッツ夫妻は、ジョージ・ルーカスに認められて、この後「イ
ンディ・ジョーンズ」や「ハワード・ザ・ダック」などの脚本や監督に抜擢されるの
だから、この「メサイア・オブ・デッド(正確にはイーヴィル)」は、低予算の自主
制作映画とはいえ、なかなかの映画であったということを証明している。
特典のナイスな絵ハガキをもらっちゃった。
博多めぐみちゃんも昨日観てきたそうで、観てよかったと、Xに感想を書いてました
よ。