2020年09月10日

9日(・・・。)

 私が自分で決めた生活ルールに則って、明日は、アルコール抜きの一日となりま
す。ガクッ。

ちなみに今日は、よなよな2本、冷酒3合でおました。
posted by yu-gekitai at 08:25| 京都 ☁| Comment(2) | キタモトのひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
キタモトさん、上村の事書きましたよ。

【さらばィ】

どこでどうスイッチが入ったのか分からないが、夏の前から家人に片付けスイッチが入った。永年勤めた仕事を止め、気持ちを整理したい気もあるのだろうけど、日に日に片づける作業に力が入った。家を出た子供らの日記から、何から何まで、時にタンスを退け、衣服を何台ものケースに入れ、布団から座椅子までぐるぐる巻きにして二人、軽自動車の座席を満タンにして市のクリーンセンターに捨てに行くのである。燃えるゴミ、金属、ガラス、家人はその分別にも絶対手を抜かない。胡麻化しようなものなら、燃えるゴミに金属の一部が混じっていたら、帰りの車の中で、徹底的に怒られる。あれ捨てていいの?これ捨てていいのか?家にいる時に休む間もなく、問いが投げかけられる。面倒くさいから、生返事で返していると、大事にしていたフィギュアたちがごっそり、箱に入れられていた。燃えるごみの処分場には大きな穴が掘ってあり、まるで奈落の穴。人間の場合、落ちたらそのごみの底なし沼に両手を上げて助けを求めて、ずぶずぶ沈んでいくのだろう。箱が勢い余って崩れ、その中からくずれ落ちるフィギュアたち。助けようとも、口の空いた箱はその奈落の穴、ギリギリの車止めの上にある。ウルトラマンが、怪獣が、鬼太郎が両手を挙げて助けて!と叫んでいる。僕は何とか一匹の怪獣、ピグモンを助け上げるのが精いっぱいだった。



どうやら家人は僕がいつ死んでも整理ができていれば気が楽とでも思ったらしい。確かに僕も気が楽だ。思い残すことはない。しかし、いくら死んだ身とはいえ、後から秘密にしていたものが箱からぞろぞろ出てきたら、死んでいても恥ずかしいのか…馬鹿な…

本人は死んでもういないのだから、そんなことはないだろう。恥でも何でもない。それでも死んだ後の恥を気にするのが人情なのだろうか。その人情を逆手に取り葬儀業者、仏壇、墓地の営業が成り立っているのだろうが。宗教も。

身辺整理の効用は、生きている間、いつ死んでもいいと思って生きていける分、現世に未練など少なくなるので精神衛生上、良いと思える。ちなみに僕は「断捨離」という言葉、行為が好きではない。「お前、何様?」暇なお金持ちのマダムを集めて上から目線でセミナーを開き金儲けする行為が好きではない。「断捨離」どこでわいてきた言葉か。以前はそんな言葉はなかったろう、どこまで商売するねん。身の丈の身辺整理でいいではないか。



その身辺整理の途中、ふと見つけた秘密の手紙を未練がましく机の引き出しにしまう。



そんな未練の手紙の束から、京都時代の仲の良かった詩人、上村晃の手紙があった。上村は高校時代から故郷の山口で詩作を始めた才能の持ち主で、京都に出てきてから、更に才能の羽を広げ、詩壇で早速、羽ばたき始めた。同志社の前の喫茶「ほんやら洞」で当時ボブディランの訳詞をしていた詩人の片桐ゆずる氏とも対談し、出会った頃、紺色の帽子をかぶり、コートを着た彼の姿は詩人然として俗にいうオーラがあった。すでに彼は自費出版ながら詩集を数冊出していた。彼ほどナイーブで、ひっそり傷ついた心を詩に表した豊かな感性の持ち主はいない。大げさに言えば、僕は生まれて初めて詩人を生で見て、詩人と生で酒を飲んだ。

しかし彼に不運が襲う。ある日、酒に酔いアパートの2階から階段を落ち、頭を強打。瀕死の重傷を負い救急車で運ばれ、一命をとりとめた。更に不運が重なる。その後、交通事故に遭い、彼は片方の足が不自由になり、マヒした手を揺らしながら足を引き摺りながら歩くようになった。そして僕の消化不良の芝居を手伝い、貴重な時間を消耗した。

そして、彼はぱったり詩が書けなくなった。今までの才能が嘘のように消えた。あがいてもあがいても、彼が書く詩は、ただのあがき、悲しみだけだった。子供相手の私塾を開くも、とうとう生活が自立できなくなり、最後一冊の詩集を残し、失意のまま故郷山口に帰りしばらくして連絡が途絶えた。上村との便りもいつしか途絶え、今回改めて最後のハガキに手紙を出したが宛先人不明で帰ってきた。



上村は本当にいなくなったのだと思う。証拠は何もないが、長い付き合いの感がそう思わせる。僕ももうすぐいなくなる。最近眠れないのでよく薬を飲む。台風が近いせいか気圧の変化のせいか、頭の芯が痛い。



ある日、僕は竜安寺商店街を歩いて下っていた。商店街にはなぜか北から南に金色の風が吹いている。あたりはぼやけ、多くの人影はあるが誰かは分からない。風が強く、金色の柔らかいぼやけたカスミが通りをうねっている。上村の下宿先の美福千(みふくせん)というラーメン屋があるが、その店の入り口には将棋の駒のような石の記念碑が建てられている。その斜め前、いつも顔を出していた「ポポー」という喫茶店にはもう誰も居ないが、僕は上村の話を思い出す。その喫茶店には常連の男が居て「そのおっさん、酔うと、捨てた女のことを話しながら泣くんだよな、あんなひどいことをした、申し訳なかったって酔うたびに、泣くんだよなぁ」その話が本当かどうか当時何度も「ポポー」に通ったがその「泣き男」にとうとう僕は会えなかった。もちろんその金色の風の中でも。風の勢いは強まり僕のまわりにとぐろを巻く。風の間に四角い金箔のような欠片が飛び交っている。



何だろうこの町は。嵐電の踏切を渡り、さらに妙心寺の方に向かうと僕の下宿があるのだけど、そこで僕の夢の記憶は途絶えた。たまには遊びに来いよ、上村晃よ。君は僕の思いの中で、まだこんなところにいるのかと思い、なつかしくて仕方なかった。無能な僕は本当に君の才能に嫉妬していたのだ。君の面倒を見るふりをしてその嫉妬心を、ごまかしていたのだよ。



「さらばィ」



さらバィ

もう街に出るのはよそう

時計をなくした左手は軽いが



さらばィ

手紙はポストにおとさないよ

書いたけど

返事が欲しくなくなった



さらばィ

どこかの殺人犯は

ぼくじゃないけど

証人はいないそれが証拠だ



さらばィ

ぼくはレフトでもライトでも

センターでもないよ



だれもグローブにおさめなかったボールを探しに行く森のおく

見つけたら帰らないんだ



さらばィ!



※上村晃詩集「楽しい朝食」昭和55年発行より
Posted by 竹田真二 at 2020年09月10日 12:41
竹田氏、ありがとう。
Posted by キタモト at 2020年09月12日 09:39
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]