2021年12月18日

17日(関西芸術座を観た。)

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「ブンヤ、走れ!〜阪神・淡路大震災 地域ジャーナリズムの闘い〜」原作・神戸新
聞社『神戸新聞の100日』、脚本・駒来愼、演出・門田裕、エル・シアターにて。最
後の最後まで、今、私が観ているこ芝居がオモシロいのかオモシロくないのかどうか
判断できず、自分自身に問いかけながら観客席にいた。率直にいえば、2時間半を費
やしての再現ドラマである。人物造形や台詞に関しても、特筆すべきものは、そこに
は無い。ニンゲンを描くのではなく、出来事をなぞってゆく、そう、やはり再現ドラ
マなのだ。それが演劇として、オモシロいものなのかどうなのか、自問しながら観る
ことになった。

 なぜ自問しなければならなくなったかというと実は、今、目の前にある芝居が、オ
モシロいのである。まずは、上手い下手を超えて俳優に引き込まれる。それは情況設
定ゆえであるのだけれど、切迫した状況のなかでの演技が延々とつづくわけで、余裕
とか隙が表面化しないことが功を奏しただろう。新聞社と新聞販売所、そして震災か
ら26年後の今とが入れ替わり立ち替わり交錯するのだが、シンプルで分かりやすい劇
構造になっている。それを舞台美術の簡略化でスムーズに展開させる。そして照明が
美しい(福井邦夫さん)。

 阪神・淡路大震災の教訓は忘れてはならない。レクイエムとして語り継がれなけれ
ばならないだろう。こういう演劇は必要なのだ。そしてこれも演劇の果たす役割なの
だ。芸術至上主義でなくてよい。ノンフィクション演劇とでもいえばよいのか。

 秀逸だったのはラスト、震災の年の主人公と26年後の主人公が出会う場面だ。時間
を超えて私たちが背負わなければならない生きていることの意味が、一瞬にして提示
されたように思えた。脚本家の企みだろう。その瞬間、この舞台は素晴らしい輝きを
放った。再現ドラマではなく、一気に〈エンゲキ〉へと変貌した。

 余韻を楽しむために、久しぶりにひとりで居酒屋に入りました。
posted by yu-gekitai at 16:13| 京都 ☁| Comment(1) | キタモトのひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
見たかった気もする。震災を風化させないためにも・・・・
Posted by 田中 久勝 at 2021年12月22日 09:23
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