2024年07月24日

24日(『微風の盆』パンフレット用の作文。)

体調は、やはりはっきりいって、良くないです。異様な天候のもとにあるひとみな、
そうであると思います。

以下は、公演当日に配布させていただいたパンフレット用の作文です。挨拶文などは
省略しています。



私の戯曲は「リアリズム演劇のそれよりリアリズムに傾斜している」のだと、どこか
に書いていただいたことがありますが、この『微風の盆』は、実はそれとは全く異な
るものです。作風の変化というわけではなく、今作限りの特別な、異形のものです。



2006年に、『あの眩い光に砕けろ』というタイトルのものを書いて、今は亡き精華小
劇場で上演させていただいたのですが、それは私なりの、あるギリシア悲劇へのリス
ペクトを込めた翻案でした。ですから私はそれを自作戯曲にカウントしていません。



それをちゃんと自分で責任を負えるものにしたくて、いつか新作として蘇らせようと
考えていました。しかし、年月が経ち過ぎました。熟成、発酵しすぎて、古漬けも古
漬け。細部のストーリーなぞ溶けてなくなって、完全な別物となってしまいました。



仕掛けとして持ち込んだ、ツダに伝わる奥山口説き(盆踊りでの浄瑠璃語り)の内容
が今回の芝居の内容となります。1969年に、新作として書かれた浄瑠璃本が、1969年
の今(!)、ここで上演されている、というお芝居です。



しかし浄瑠璃本にいわく、その作者は終戦の前年に戦死したことになっていたり、そ
もそも主人公(生死が逆転していますがシテ)以外の4人(ワキでありながら前半部
ではシテに見える)は、永遠に空間に漂い、生きていた時の記憶を失うことなく、死
んでなおも世界を観察しつづけている霊魂(素粒子のようなもの、劇中ではエレメン
トと称する)であり、奥山音頭に誘われて登場したという、作者による怖いもの知ら
ずの構造。



主人公が〈そこにいること〉ゆえに、亡霊のごとく現れた仮装人(演技者)たちは、
実は空間に漂っていただけだという無茶苦茶な設定は、泉鏡花さんの諸作品からの奇
想、その破天荒さに大いに勇気を得て、鏡花さんには及びもしませんが、その意気に
倣いました。さらに夢幻能でいえばアイ(話の展開の説明とストーリーの盛り立て
役)という立場の奥山口説き名人を添えて。



語り部の語る演劇。俳優はつまり、この芝居では語り部であります。この芝居にはド
ラマを形成する会話らしい会話がありません。ドラマは俳優たちの足元か、ひょっと
したら彼らの向こう側に存在するのです。



それにしても、あの日見た、かなたに太陽の塔を背にした傷痍軍人さんの姿が、いつ
までたっても私の脳裏から消えることはないのです。



上演時間は1時間20分を予定しております。これは遊劇体本公演での、最短上演時間
新記録です。あっという間に終わりますが、情報量が多いので、上記のような作品解
説めいたことを記したわけであります。ネタバレお許しください。



※実際に私が暮らすムラの盆踊りの音頭は、伝承横山口説き、と呼ばれます。本作で
のツダという町名と同様、奥山口説き、も架空の名称です。
posted by yu-gekitai at 09:28| 京都 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | キタモトのひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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