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『銀河鉄道の夜』、原作・宮沢賢治、脚色+演出・東口次登、近鉄アート館にて。
原作はまるで当然のように読んでいる、という以上に、何回も読む機会があったか
ら、内容については知っている。わかっているのに、いや、結末が(過程も)わかっ
ているからこそ、観客席の私には切なさがつのったように思われる。モノガタリとは
そういうものだろう。知らないから知りたいというモノガタリへの欲求もある。だが
その欲求は落胆させられることも多い。古今東西の名作とは、わかっているものをさ
まざまな視点で新たに見据え、発見し、より深く知る、そういう、モノガタリを整理
整頓する楽しみにあるように思う。私は、既に知っているモノガタリを追いかけ、観
て、大いなる感銘を受けたのである。ハナシは変わってしまうかもしれないけれど、
再演三演の意味もそこにあるだろう。舞台作品を観るということは、どんなオハナシ
かを確かめに行くことではないのだ。
人形ではなく俳優が生身で演じていたら、という考えが観劇中に繰り返し頭をもたげ
た。頼りない所作の人形が私の中で生命を持ち始めるのを不思議に思いながら。これ
はつまり、人形でしか成立させ得ない舞台なのだ。あたりまえだ、人形劇だもの。文
楽とはまた別の、人形芝居の世界、これは私にとっての新たな発見だった。われわれ
の舞台での俳優の存在が、人形に食われてしまったようで悔しくも感じたが、それそ
こは、人形劇の舞台ですから、較べるのもおかしいんですけれど。
人形を操り台詞を吐き、という意味では操演者が俳優であるとも言い換えられる。黒
子に徹しながら、クリアーなトーンの台詞の響きも心地よかった。
演出においては空間の使い方が巧みで、作品にマッチした美術(永島梨枝子)と照明
(永山康英)が美しく、ラストシーンの宇宙の展開に息を呑んだ。
2024年09月15日
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