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『わが友ヒットラー』作・三島由紀夫、演出・しまよしみち、未来ワークスタジオに
て。
劇団未来さんの今回の公演は、先週26日に観せていただいた『サド侯爵夫人』との、
三島由紀夫戯曲の2本立てだ。週末金土日2週にわたって、作品を入れ替えながらの毎
日3ステージというのは、その大変さがしのばれる。それにしても、合わせて18ス
テージ。自ら運営する稽古場兼上演スペースを維持し続けているがゆえであり、ご苦
労もあるだろうが、うらやましくもある。
『サド侯爵夫人』と、同じ舞台美術だ。抽象的な空間に、例の、リアルそのものを主
張するテーブルも位置を違えてセットされてある。違和感はない。それは、同様のリ
アルさを保証する椅子が三脚しつらえられてあるからだ。調和している、ということ
だ。『サド侯爵夫人』での残念さは、同じく三脚(もう覚えていないので、四脚あっ
たかもしれないが)あった〈椅子〉が、舞台と同様の色彩である白い〈立方体〉で
あったことだろう。調和を欠いていた。さらに衣装も白であったことから、リアルな
テーブルの存在の無念さが際立ってしまったのだと思う。ちなみに『わが友ヒット
ラー』の衣装は、道具と同じリアルなものであった。
大広間とバルコニーの距離感に違和感を覚えたものの、舞台美術が活きていた。特に
第3幕の、(長いナイフの夜)を成し遂げたヒットラー(しまよしみちさん)の、嘆
きと達成感の入り混じった狂気と呼応していた。そう考えると、この公演の舞台美術
は『わが友ヒットラー』の第3幕にふさわしいものだったということになる。
台詞をしっかりと観客席に伝えるという宿命を帯びた戯曲であると思う。それが主眼
が置かれた演出であり、4人の登場人物の関係性が見事に舞台上に描かれていた。BGM
や音響の使用法など、私には気にならないこともなかったが、それは好みの問題であ
ろう。
2024年11月03日
この記事へのコメント
それが主眼に置かれた、でも、それに主眼が置かれた、でも、どっちでもいいんですが、そんなことをふと思ったら、それが主眼がおかれた、になってしまいました。
Posted by キタモト at 2024年11月03日 08:33
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