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『眠っているウサギ』作・くるみざわしん、演出・高橋正徳、フェニーチェ堺小ホー
ルにて。
演劇という表現ジャンルの持つ自由さ豊かさを、あらためて再認識させられる完成度
の高い舞台であった、なんてことをいうより、共感できる舞台であったといった方
が、わかっていただきやすいだろうか。
演出の、狙いの確かさとその力量に驚いた。それを象徴するのはバス停留所の標識
だ。なるほど冒頭のシーンは道筋のバス停留所だ。そのバス停留所の標識が、次の場
面の室内のシーンになっても、場所は変えてだが、舞台上にちゃあんとあるのだ。場
面転換の多い芝居である。シーンが変わってもバス停は舞台上にあるのだ。最後まで
すっとある。バス停のシーンは冒頭だけである。実はバス停だけではない。シーンの
象徴となる置き道具のいろいろが、ずっと舞台上に置きっぱなしだ。殺人現場に供え
られた花束も、そのままラストまで象徴的に、サスペンション・ライトで照らされた
ままになる。暗転中もだ。
演出の高橋正徳さんは、演劇を「信用している」。俳優を、台詞を、空間を「信頼し
ている」。信頼できる台詞と俳優の身体さえあれば、舞台上に劇世界のリアリティが
生まれるのだ。シンプルである。俳優に無用なことはさせていないから、空間が研ぎ
澄まされている。
それは当然、くるみざわしんさんの台詞にもいえる。情報量が少ないような錯覚を与
えられるが、無駄なものをそぎ落とし結晶のように強度の強い台詞になっている。
私はこの芝居を観せていただいて、なかなか最近では耳にすることもない、実際そう
いった芝居を観る機会さえない、ふたつのコトバを思い出した。〈アジプロ演劇〉と
〈ディスカッション・ドラマ〉だ。『眠っているウサギ』は、アジプロ演劇としての
特質を備えているように思う。台詞のやり取りは議論討論そのもののように感じた。
問題提起や課題形成、調査分析に有効な複数の視点が提示されたということで、「探
求行為」であったと考えれば、ディベート演劇と例えるべきかもしれない。ただ、終
盤には、着地点が観客にも予想がつき始めるのは、弱点だろうか、それとも観客の対
象が中高校生ということで、それでよかったのか、部外者の私には口をはさむ余地は
ない。
俳優につて特筆したいのは、全員の台詞が、ひとつ残らずクリアに空間に響き渡った
ことである。聞こえた、ではなく、クリアに聴きとれた。これは当たり前のことのよ
うではあるが、素晴らしいこと。演技において特に好印象を残したのは、ホームレス
の大石さんを演じた恒川勝也さん、元教師の水本さんを演じた越賀はなこさん、そし
て牧野さん役の、中田達幸!
場面転換の多さを省エネで可能にした舞台美術も、選曲も含めて貢献度が高かった音
響デザインも、シンプルなようでいて実は多彩なことをしていたであろうメリハリの
ある照明も、みな素晴らしかったと付け加えておきたい。
2024年12月07日
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