2025年04月02日

30日(『あのころはフリードリヒがいた』終了しました。)

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第4回大阪演劇見本市

観劇感激KANGEKIプロジェクト

Across the border 垣根を越えて!

主催・関西演劇振興会議(関西俳優協議会と大阪劇団協議会でなる組織だそうです、
よお知らんけど)



というイヴェントで上演いたしました『あのころはフリードリヒがいた』、無事に舞
台を終えることができました。主催者側のみなさん、出演者およびスタッフのみなさ
ん、そしてご協力のみなさん、なによりも観客席のみなさま、ありがとうございまし
た。

2幕物としての台本でしたが、イヴェントの都合上、2部に分けての上演でした。そこ
んところがちょっと残念。いつかどこかで通して上演できたらいいなと思います。

原作は重い小説でした。それを上演台本にするのに大変苦労をしました。朗読劇であ
りながら、朗読劇以上の者をめざして。台本を書いているときはしんどかったです。
オリジナル戯曲を書いているときの方が、圧倒的に気楽で楽しいですね。第1幕は、
淡々とエピソードを重ねてゆく、という演出。第2幕は、テンポを変え、ドラマのう
ねりと視覚的な要素を強調した演出。台本を書くのはしんどかったけど、楽しい稽古
期間でした。



以下に、パンフレットに掲載された私の作文を再掲載させていただきます。



「時間と場所」

朗読劇をしたい。この小説を読め。それが『あのころはフリードリヒがいた』との出
会いだった。作者の少年時代の体験。というより作者の眼を通したユダヤ人一家の姿
だ。主人公ハンスとフリードリヒは、1925年に生まれた。

第1部は1936年まで。そして第2部は1942年までの出来事。その時代のドイツはどうで
あったか。私が記すまでもない。時間と場所に色があるならこういう色だ、という色
の芝居になった。

国家、民族、宗教、あるいは環境、職業、性別、年齢そのほか、一人ひとりがみんな
違う。あたりまえだ。それが同じ時間同じ場所に集うと、それぞれの異質さが明確に
なったりする。出演者にもプロと呼ばれる俳優とアマチュアのみなさんが混在してい
る。それでもできた舞台はひとつだ。舞台上にはプロとアマの区別なぞない、みんな
で創りあげたひとつのものだ。これが理想をかなえたものだというならば、奇跡と
いっておこう。世界あるいは社会は、そう都合よくいかない。そういうことが冷徹に
描かれている。ナチスに加担してしまうニンゲンも、ユダヤ人であることで排斥され
るニンゲンも、その時、その場所にいた。同じようなことは、時間を超えて、場所を
違わず、世界中で起こってきたことだ。それをあらためて腹の底に受け止めて、さて
われわれは、いかにすべきか。その答えも、一人ひとり、それぞれであってよいに違
いないのだ。

第1部開演前の群読は「ソロモン」という、ユダヤ人がなぜ土地を失い世界を漂うの
かを記した昔話の抄訳。第2部開演前の群読は「ヒトラーの首相就任演説」の抄訳。
いずれも観客席に聞かせるためではなく、出演者自身のためのサブテキストとして読
んでいる(という演出)。ご来場、感謝いたします。第2部のわずかな一箇所だけ小
説を改変しました。気がついた方は、甘いな、と笑って許してやってください。

posted by yu-gekitai at 07:22| 京都 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | キタモトのひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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