2025年11月30日

さらに29日(劇団鵺『黄金船長』の録音を聴いた。)

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『黄金船長』作+演出・南畑壽宇(キタモトマサヤ)、1980年くらい、衣笠小劇場
(立命館大学学生会館小ホール)にて、観客によって録音されたもの。

おっそろしいブツが手元に届いた。送り主は、出演者のひとり。別の出演者の友人が
客席で録音したものだそうだが、それが地下水脈で流れていたのだ。

〈劇団鵺〉は、立命館大学の演劇サークル〈劇集団そよそよ族〉を母体に、私やその
残党が中心となって結成された集団。記憶がいろいろと前後して、どうしても結成年
度がはっきりさせられないのだが、78年かもしれないし、79年かもしれないし、80年
かもしれない。『黄金船長』というのは第2回公演で、結成の翌年7月だったと思う。
旗揚げは結成年の11月くらいか。『太陽は血より赤い』というタイトルで、それが私
の処女作。立命館大学学生会館第7ホールでの上演で、こちらも〈衣笠小劇場〉と称
していた。望外の大好評で、それが連作につながった。『黄金船長』は第2作という
ことになる。予想をはるかに超える観客が集まった。旗揚げの3倍くらいか。そして
第3作が、たぶん同じ年の初冬で、『恋獄絵図』という、かなり上演時間の長めの芝
居だった。観客動員もさらに倍増。これら3作品が劇団鵺のピークで、あとは紆余曲
折をくりかえし、3年後くらいの最終作『夜の工作室』(新京極あたりにあった商業
施設の、何階かにあった小ホール、名は忘れた)が、初期3作品に並ぶ、と私は思っ
ている。

うだうだと記憶の断片を書き留めてますが、CDに焼かれたライヴを聴いて感じたこと
などを少し。聴く前はやはり怖くて躊躇が絶えなかったのだけれど、いざプレイして
みたら、楽しくていっきに、客出しまでを聴いてしまった。超満員の観客席の熱いド
キュメントであった。

いちばん感じたことは、二十歳を過ぎたばかりである若い役者の存在感である(もし
かしたら女子には10代もいただろう)。この作のラインナップではプロの世界に飛び
込んだ者(地方テレヴィ局でレポーターとかやってた女子がいたかな)はいないが、
才能あふれる若者たちだったことにあらためて気づかされた。また、台詞のスピード
とテンポの良さにも驚かされた。これは私が満開座で学んだものである。みんなよく
声も出ている。女子たちのナチュラルな声の良さも今思えば、これはすごいことだと
思う。

そう、〈劇団鵺〉は、私が〈満開座〉で俳優に挫折をして、芝居をあきらめた後、
〈劇集団そよそよ族〉のメンバーから、また一緒にやらんかみたいなカタチで強く誘
われ、しかも演出をやってくれと、つまりは〈満開座〉で学んだことをわれわれに還
元してくれと、そう説得されたことによって誕生したのだ。演出、という未知なこと
を引き受けるにあたって、私はずうずうしくも2つの条件を出した。ひとつは集団名
の変更。〈劇集団そよそよ族〉から〈劇団鵺〉へ。そして台本は、私に書かせてく
れ、自分が書いたものしか演出できない、と。

ほぼ男ばかりの集団で、女子はひとりいたかもというくらいで、その子は役者はやら
ないということだった。苦肉の策で、私は、近隣に位置する嵯峨美術短期大学の演劇
部〈劇屋アリス〉を単身訪問し、唯一の男性部員であった部長に、われわれとの共同
制作を申し出た(その彼は北村想さんの弟であることをそのとき知る)。結局、部長
の彼は関わらず、部員だった女子が〈劇団鵺〉に合流することとなった。もちろん
〈劇屋アリス〉の単独公演も学内で打ちつつ。

旗揚げ公演には、満開座の仁王門大五郎師匠が一升瓶を提げて観劇にきてくださっ
た。満開座でも使用していた楽曲、プリズムの「モーニング・ライト」、客出しのと
き、その曲を使ってくれてありがとう、と師匠からいわれた。満開座を脱退した、い
わば裏切者の私なのに。その感激とその日の師匠の第7ホールを後にする後姿は今
も、私の脳裡に焼きついている。「モーニング・ライト」は遊劇体のアイホール公
演、現代演劇レトロスペクティヴ『縄文人にあいういう』でもモチロン使わせていた
だいた。

さて『黄金船長』なのだが、劇中の音楽の使い方、それはまさに〈満開座〉で学んだ
とおりだった。台本も、満開座くらいしか知らなかったからだろう、満開座と、まだ
観たこともないはずの状況劇場をミックスしたようなものであった(ちなみに私の初
舞台は〈劇集団そよそよ族〉による別役実・作『堕天使』)。

幸せなこと、と思う。またいずれ開催されるであろう、第3回劇団鵺生前葬という呑
み会。過ぎて50年近くなろうとしている現在も、当時のメンバーとあの苦闘の記憶を
共有できる。何物にも代えがたい宝物である。
posted by yu-gekitai at 11:47| 京都 ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | キタモトのひとりごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
追記:そうだ、『恋獄絵図』の千穐楽終演後、私は大阪からきたというK.Y.というひとの、助手だという女性に呼び出された。K.Y.さんが(衣笠小劇場の)近くの店で待っていますから一緒にきてください。良いハナシなんですからぜひきてK.Y.さんと会ってくださいという。私たちは観客を巻き込んでの打ち上げ大宴会の最中なんである。あまりのしつこさに、失礼だろ、そちらの方からここへこい、と、どなりつけて追い返した。打ち上げ会場(客席)に戻ってきてからも私はメチャクチャ怒っていたらしい。
後から知ることになるのだがK.Y.氏は、オレンジルームの学生演劇祭の方だった。
そのことを知るまで私たちは(私だけか?)全くなにごとだったのか意味不明の、KY事件と呼んでいた。
Posted by キタモト at 2025年11月30日 14:46
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